安全工学


 安全工学(Safety Engineering)とは、工業分野において、事故や災害を起こりにくくすることを目的とした安全性を追求・改善する工学です。近年では、原子力発電所や水素ステーションなどの高い事故リスクを持つ設備が、私たちの生活に密着した場所に存在しています。そういった箇所で起こりうる爆発や高速噴流の拡散現象は、圧力の変化に応じて体積や密度が変化するという圧縮性の効果を無視することはできません。

 そこで松尾研究室では、そのような対象に対して圧縮性を考慮した数値シミュレーションを用いて、想定される事故被害を評価しリスクを提示し、またどのような対策を講じることでリスクの低減が可能かを検討しております。

 

水素社会実現に向けた安全性評価

 水素エネルギーの実用化が進んでおり、水素を燃料とした自動車の普及が広がっております。それにあたって、高圧水素の貯蔵施設を持つ水素ステーションの設置が進んでおります。水素ステーションには高圧水素が貯蔵されている水素タンク、ディスペンサー等が設置されています。ディスペンサーは水素を燃料電池自動車に供給する器具で、水素漏えいが発生する危険が高いと言えます。

 図に示すように、水素ステーションを設置する上で高圧ガス保安法の省令により、保安距離としてディスペンサーと公道間の距離を8 m以上(70 MPa充填用)と定められております。この保安距離をガソリンスタンドの保安距離である4 mまで短縮することを目的とした規制の再点検が行われています。したがって、万が一水素が漏えい拡散した場合の影響領域の調査が必要とされています。下左図は高圧タンクからの水素漏えい現象を解析したものであり、着火危険性のある領域などを調査しております。

 

 水素エネルギーを都市ガスの代替として用いる方法として、水素をパイプライン輸送する方法が検討されております。国内では、低圧での水素パイプラインを工業用途において利用しており、実際に家庭にパイプラインで水素を供給しているのは北九州の水素タウンでの実証試験のみです。水素パイプラインを導入する場合、既存の都市ガスパイプラインを再利用することが想定されております。

 しかし、従来の炭化水素系燃料と比較して、水素は燃焼範囲が広く、静電気程度のエネルギーで着火に至ることから水素の爆発危険性は特に高いと言えます。そこで水素パイプライン導入にあたって、想定される事故現象の解析を行い、安全に使用するためのガイドライン構築を目的としております。下右図はパイプラインから水素が漏えいする様子を示したものです。このようにして、管内圧力や漏えい口面積が漏えい現象に与える影響についても調査を行っております。

高圧ガス保安法で決定された現行の水素ステーションの保安距離


水素漏えい拡散現象(左 タンク 右 パイプライン)

開放空間での爆発現象について

 爆発とは、何らかの化学的または物理的原因により圧力が急激に発生•上昇する事によって、爆発音を伴ってガスが膨張する現象のことをいいます。この膨張する過程で衝撃波を形成し、爆風が周囲へと伝播します。この爆風が到達した際の圧力、爆風圧は爆発の破壊効果を代表するものの一つであり、安全性評価に多く用いられます。

 図に爆源からある位置だけ離れた場合における圧力履歴を示します。爆風が到達する時間t0までは圧力変動はなく大気圧p0のまま変動しませんが、爆風が到達すると圧力は急峻に上昇して最大過圧Δpsに達します。その後、緩やかに圧力は大気圧p0以下まで減少して次第に大気圧に戻ります。このとき、大気圧よりも高い圧力の相を正圧相、低い圧力の相を負圧相と呼びます。

 

 爆風による被害は、最大過圧のみならず、正圧部の圧力を時間積分したインパルスを考える必要があります。薬量が少なく、圧力の持続時間が短い場合はインパルスに、薬量が大きく、圧力の持続時間が長くなる場合は最大過圧に依存する事が知られております。したがって、最大過圧とインパルスが人体や物に与える影響を調査しております。

 

 最大過圧は薬量によって変化するため、爆風の伝播特性には相似則が適用されます。同種、同一形状で薬量が異なる爆薬によって生じる爆風の最大過圧を比較した場合、各々の最大過圧は爆薬の質量比の3乗根に比例する半径において等しくなります。このとき、換算距離 (scaled distance) Zとして、爆源からの距離R と薬量 W を用いて、次の関係が導かれる。

 

 爆発の例として、火薬類を保存する火薬庫があります。火薬類取締法では、火薬類が爆発した際に被害が及ぶ範囲として保安距離が定められていますが、火薬庫周囲の市街地化が進み、保安距離の短縮が求められております。Kingeryによって与えられた半球形の地表爆発の爆風の関係を図に示します。このようにピーク過圧と換算距離の関係を用いて、保安距離の短縮に向けた計算を行っています。


爆発発生時の圧力履歴      ピーク加圧と換算距離の関係

閉鎖空間での爆発現象について

 爆発を伴うような急激なエネルギーの放出やその伝播挙動は流体の圧縮性を考慮する必要があります。爆発が起こると衝撃波が発生し爆風として周囲に伝播します。建造物内のような閉空間内における爆風伝播においては伝播する衝撃波と構造物が干渉し、複雑な波の回折が起こり局所的に大きな圧力負荷がかかる危険性があります。原子力施設などの密閉された室内における爆発事故は閉空間内爆発の一例です。このようなケースに対する安全工学的な見地から、閉空間内における爆風の伝播挙動を再現し構造物の安全性を評価することは重要であるといえます。

 上図は1階と2階からなる密閉された室内で爆発が起こった場合を想定しています。発生した爆風は扉で回折し壁面で反射することにより、互いに干渉して複雑な伝播挙動を示します。このような場合室内の壁面には爆風による圧力負荷がかかり、構造物が破壊されてしまう危険性があります。

  

 

爆風伝播の様子

爆風伝播の干渉縞


 そこで、爆発に対する防護策として爆発放散口があります。内部爆発の可能性がある容器に意図的に脆弱部分を設け、圧力上昇過程において爆発放散口が開口することで、容器内の圧力を外に放出させることで、最大圧力を小さくし、建屋や装置の破壊を防ぐことが可能であります。密閉状態の容器において爆発放散口を設置した場合と未設置の場合での容器内部の圧力の時間変化を図に示します。このように爆発放散口を用いることによって装置や建屋が破壊される設計圧力より最大爆発圧力を小さくし、破壊を防ぐことが可能です。

 しかし、爆発放散口の圧力放散への効果は容器内の着火位置や容器形状、可燃性気体の濃度分布など様々な条件によって変化します。したがって、前述の条件を変えることによって、爆発現象にどのような影響を与えるか数値シミュレーションを用いて研究しております。


圧力放散口の有無によるゲージ圧履歴の比較     火炎伝播の様子